虚構を通して現実を見る 幕が上がる 映画レビュー

公開日: 13:13 考えたこと 趣味

・演技がうまいのでアイドル映画じゃない!ってレビューの無意味さについて

幕が上がる、見てきたのでレビュー書きます。ももクロ好きだけど最近見に行ってない人。ってのが前提です。この映画のレビューって、そういう前提含めて読まないとなので面倒くさいですね。




一言で言うと幕が上がるは「ももクロファンの私から見るとアイドル映画ではないし、普通の映画としても楽しみづらい。しかし楽しめる」という感想だった。


見に行く前から色んなレビューを目にしていて、「ももクロが本気で演技に取り組んでいる、これは、アイドル映画じゃない!」というのが多かった。これはちょっと視点がずれていて、どうなのかな?と思っていた。



「アイドル映画」ということの正確な定義はわからないけれど、個人的には「出演者を見せるために話がある」のがアイドル映画で、「話を見せるために出演者がいる」のが普通の映画だと思っている。なので、アイドルに演技力がいくらあろうとアイドル映画が普通の映画になることはない。



以前、「ももドラ」という、頑張って演技していたけれどももクロ達の可愛さを見るだけのドラマがあって、それが自分には合わなかったので今回どうしようかな~。と思っていたけれど見てみると、不満もあったが楽しめた。



・映画として見せてくれない「幕が上がる」


ももクロが好きで映画を見に行ってはいるが、出てくるのはももクロが演じる「誰か」として受け止めようとしている。ものすっごく当たり前なんだけど、そうじゃないと「あれっ、あーりんが「あけみちゃん」って呼ばれてる…?なんで…?」ってネットで言われるアスペみたいなことになるからだ。


漫画のコマを右上から左下に向かって読む「漫画の作法」に則るように映画の当たり前をこなす。そうして「映画」として楽しもうという姿勢で臨む。


しかし、この映画はその作法を製作者側から壊してくる。


映画の序盤、主人公のさおりとヒロインのゆっこと、ムードメーカーのがるるが登場し、三人が話し、(この三人は同級生っぽいな)くらいにしかぼんやりとわかっていない状況で「あーりん」が現れる。役名の「あけみちゃん」ではなく、佐々木彩夏通称あーりんが現れるのだ。


初登場の場面で「だってあーりんなんだもん」という曲の衣装であるケーキの帽子をかぶって現れる(あーりんなんだもん画像検索)。かといって、全くあーりんなあーりんはあーりんとしては扱われず流されていく。



こういう点が場面場面で現れる。先生に直談判しに行くに主人公の横でももクロのマフラータオルが使われていたり、視聴者に「ゆっこ」として受け止められている人が「はらへったー」と叫び、その場面だけ玉井詩織になる。

他にもももクロのTシャツを持っている人がいたり、誕生日を祝う際にれにちゃんがローソクの役をするというライブでは定番になっている様なことなどなど…、その他にもいっぱい、いっぱい映画の中で現実のももいろクローバーZの存在感を出してくる。


これを「ファンサービス」として提供しているのかも知れないが、お陰で全然映画に没入できない。


映画で人が死ぬ場面、見ている方は役者さん本人は死んでいないと分かっている。けれども死んだとして受け止めて嘆き、悲しんだりする。しかし、今回は死んだと受け止めようとしているのに「実はこの人役者で、死んでないですよ?」と映画の中で提示されるようなもので映画への集中を映画そのものが阻害してくる。



ファンにしかわからない様な部分もあるので知らない人は知らずに見られるかもしれないが、知らずに熱中している人の気づかない所である意味「ふざけて」いるのだ。

銃に打たれて「なんじゃこりゃぁ~」と言いながら死んでいく人の胸にフランス語で「実は死んでないよ~」って書いているようなもの。フランス語読めない俺にはわからないけど、その事実を知ったら、なんだよそれ…とひどく気分を害するかも知れない。



そんな内輪ウケを狙ったようなネタを複数仕込んでおきながら、話の筋はももクロを見せるためよりは、話の内容の方に重点が置かれている。なので、映画の中であーりんかっわいいいいいいいいい!!!!!!とか、あーりんマジ天使!!!!!って言いたくなる場面は無い。その点では「アイドル映画」ではない。しかし普通の映画としては見せてくれない。


戸惑いながら見ていった「幕が上がる」であるが、途中から“そういうもの”として受け止めると存外楽しめた。


邪道な映画の見方かも知れないが「ももクロ5人のアナザーストーリー」として見ると面白い。





・演劇部の5人がももクロっぽい


原作を読んでないので本来はどうなのかわからないが、映画の配役はももクロ5人にかなり寄せてきている。


演劇部部長の夏菜子に、夏菜子が大好きなヒロイン役のしおりん、自由奔放なれにちゃんに、気が利く年下のあーりんと、実力派転校生の有安。

これって、絶対的センターの夏菜子と、夏菜子が大好きな美少女しおりん、自由奔放なれにちゃんに、天使のあーりん、歌もダンスも抜群な途中加入の有安と完全に対比している。



役柄の個性だけであれば「華があって舞台に立てばそれだけで舞台が成立する」って部分だとあーりんでもハマる。でも、夏菜子大好きって要素が入るとヒロインはしおりんだし、周りへの気遣い上手で行き詰まると一人で苦しんじゃう。って杏果っぽい気がするけれど、転校生役があるなら杏果はそこでしょう…ってなる。



映画の中の五人を、演じている五人ではなく、ももクロがアイドルとしてではなく演劇部で集まった五人だったとしたら…。という風に見ると新たな世界が、オタオタしさ満載の面白さが溢れ出してくる。


・ももクロがももクロでありがとう


アイドルだからセンターに立って、みんなを引っ張っていく夏菜子だけれど「Z伝説~終わりなき革命~」で一人だけベアダー(クマのかぶりもの)でセンターで圧倒的に目立つことを指示された時に「私一人だけ目立つのは嫌だ、みんなで、みんなが人気になりたい」と言って泣いた夏菜子は演劇部であれば演出家というポジションになっていたかもしれない。


ありうる、5人がこういう出会いをしている可能性はありうる。そう考えると内容が熱を持つ。これまでの5人はこの映画よりも非現実的な道のりを進んできた。ももいろクローバーZという現在進行形の夢のifの物語。


弱小演劇部が全国に。ちょっと夢っぽいが、ZEPP大阪の席を埋められなかった5人が数年で国立競技場を数万人の観客で埋める。それが現実なんだから、スクリーンの中がすごい現実的な話として見られる。


この話、ありうる、ありうるなぁ…。と思うと、今の現実がかけがえなく思える。


映画の中の年長者に配慮して少し自分を抑えるあーりん。そうだよ、普通ならそう。学生時代の先輩って怖いでしょ。そうではなく年上のしおりんとじゃれあう天使なあーりん、あーりんとして“アイドル圧”を放つあーりんが見られるのはあーりんがアイドルになってくれたから。演劇部に入っていたら「あけみちゃん」だったかもしれない。本当によかった。あーりんがあーりんとして魅力を発揮できるあーりんがいる現実であって本当に良かった。



映画の中では鬱屈とした序盤からやりたいことを見つけて輝き出す夏菜子。その役の中で最大限に輝いたラストシーンよりも輝く夏菜子を私は見たことがある。 非現実を通して見た現実はなんと不思議で素晴らしいものなのかと痛感させられる。



邪道かもしれないけれど、そういうふうにすると非常に楽しめた映画でした、幕が上がる。




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